最近、 老人の孤独死がよくメディアに取り沙汰されるようになった。
都心マンションでの餓死、無縁社会が招いた結果なのだろう。
かくいう私も、今は一人で暮らしている。
すでにローンを支払い終えた一軒家、万が一の際には売却もできるため、
とりあえず食の心配はしなくても済む。
しかし、 私の状況は孤独死の危険性も十分にある。
都心マンションで孤独死を迎えた老人と似たような境遇なのではないだろうか。
「資産」を持ちながらの餓死。
高齢者となった時に必要なのは、お金では無くて
「縁」という人との繋がりなのかもしれない。
こんなことを考えていると、
私一人では広すぎる我が家にポツンと座っている状況が少し恐ろしくも感じる。
キーボードを打つ手を止めれば、静寂の世界なのだ。
私が恵まれているのは、今でも 「娘」と繋がりがあることだ。
この縁だけはしっかりと握り続けなくてはいけない。
とはいえ、冷凍弁当の宅配や手料理を届けてくれる娘に
甘えすぎないようにしなくてはいけない。
私自身でできることはきちんとしていかなければ。
三食きちんと食事をとるようになったのも、独りになった今だからこそ、だ。
私が元気でいることが、娘にとって少しもの安心材料になれば…とそう願う。
私の身体を構成しているもの。
それは間違いなく日々の食事。
改めて営業時代に乱れていた食生活を思い返すと身震いがする。
アルコールを毎晩のように呑み、気に入った食事処に通い毎日同じ昼食メニュー。
こってりと盛られたラーメンを、得意げになって食べ歩く日々。
自らのお金を使いながら、我が身を痛みつけていただけなのだ。
糖尿病は死因の上位にも挙げられることがある死に至る病。
会社の健康診断で「軽程度」と言われても軽くみてはいけない。
社会生活や家庭を失わないためにも、真摯に受け止め対策を取って欲しい。
孤独な闘病生活ほど辛いものは無いし、孤独死だけは避けたいものだ。