前の職場を追われることになった大きな要因となったのが、 病気への理解の無さ。
診断書を提出しているにも関わらず、
単なる体調不良程度に受け取られていたのだから困る。
病気が進行してしまうと、
取り返しのつかないことに陥ってしまうことを彼らは知っていたのだろうか。
失明や手足の切断、糖尿とは死へも繋がる重大な疾病なのだ。
見た目には何ら変化が無く、元気に二本足で立っている私を前に、
そのようなイメージを持ったものはいなかったのではなかろうか。
言いようの無い糖尿病への恐怖感、自らの身体から力が奪われているような
脱力・倦怠感は、なってみなければ分かるまい。
気軽に「糖尿病なんて放っておいても治った」という同僚までいた始末だったのだ。
糖尿病という病気の厄介なところは、
まるで怠惰な生活をしてきた人間への罰かのように捉えている人間がいることだ。
多くの場合、糖尿病になるかならないかは体質にも大きく左右される。
私がなりやすい家系に生まれたということもある。
医師から病気を告げられる以前にも徴候らしきものはあった。
頭の中がぼぅっとしてフェードアウトしていくように短時間眠る。
これを私は単なる昼寝と称していたし、会社の人間に対しても
「短時間の昼寝は仕事の効率が上がる」などと言い訳をしていた。
しかし、その時すでに血糖値が高かったのだろう。
私はぐうたら社員の烙印を押されたまま社を去ることになってしまったのだ。
前の職場が、病気への理解が無かったことを嘆いていても仕方が無い。
当の私ですら、糖尿病と気が付いたのは健康診断で発覚してからなのだ。
もし、早期の段階で家族に告げて妻からサポートを受けていたら、
離婚という結果には至らなかったのではないだろうか?
いや、そんなことはないだろう。原因は他にもあるのだ。
だが、それでも後悔は残らないと言えばうそになる。
働き盛りの大切な時期を失ってしまったような喪失感。
家族を養っていると自負していたのだが、その家族をも失ってしまったのだ。
60歳まであと一息。
私はこれから失ったものを取り戻す道を「第二の人生」として、
一から自分の人生を歩みなおそうと思っている。
この自らの人生を振り返る作業が、その第一歩になるのだろう。
妻や娘に苦笑いしてもらうためだけの回顧録。
糖尿病よりも辛い試練かもしれない。